2009年12月6日日曜日
司馬遼太郎の歴史小説(時代小説)は、いわゆる「いいとこ取り」の勝者史観的なメロドラマにすぎない。負け戦とわかっていても戦わなければならない戦争や戦いというものがある。司馬遼太郎によると、そういう戦争は、宗教的な非合理主義的熱狂に突き動かされた「狂気と暴走の戦争」でしかないということらしい。
日本民族の「悲哀の歴史」と「歴史の喜びと悲しみ」を書いてこそ「国民作家」と言えるのではないのか。しかし、司馬遼太郎の歴史小説(時代小説)は、いわゆる「いいとこ取り」の勝者史観的なメロドラマにすぎない。負け戦とわかっていても戦わなければならない戦争や戦いというものがある。司馬遼太郎によると、そういう戦争は、宗教的な非合理主義的熱狂に突き動かされた「狂気と暴走の戦争」でしかないということらしい。まさしく、ノモンハン事件から大東亜戦争にいたる、いわゆる第二次世界大戦がそうだったという史観である。僕が、「司馬史観もまた戦後民主主義的な自虐史観であった」と断罪する所以である。
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