高橋志臣さんがブログで、園子温監督『愛のむきだし』における僕の似非説教を文字起こししてくれました - MIYADAI.com Blog
あなた方は〈ケイヴ〉。地下洞窟に潜った状態です。
かつてプラトンが、こういう比喩を述べています。
「われわれ人間達は、洞窟の中に居て、光を見ることがなく、光によって映し出された、壁面の影を見ているだけ」。
みなさんも、まさしくそう言う、状態です。みなさん方の多くは、欲望のままに振る舞うことを、〈自由〉だという風に思っていらっしゃるかもしれません。 欲望に近づくことが、欲望を、自由自在に叶えられることが、光に近づくことでしょうか。
アリストテレスは、欲望や感情のことを、〈パトス〉と呼んでいます。〈パトス〉とは、これすなわち、「降りかかってくるもの」という意味です。
雨や霰も降りかかってきます。さらに、目の前に木があったり、森があったり川があったり山があったりするということこれも〈パトス〉だという風に言いま す。モノも〈パトス〉。感情や欲望もパトスです。
カントという人は、今のアリストテレスの、議論を踏まえた上で「欲望のままに振る舞う人間は、〈自由〉の対極にある存在、全き不自由な存在だという風に 言います。なにゆえならば、欲望は、性欲は、さまざまな、金銭欲や物欲は、みなさまに、降りかかってくるものです。
欲望のままに振る舞えば、降りかかってくるもののままに、なってしまうということ、これすなわち、不自由そのものです。降りかかってくるものに負けるので はなく、降りかかってくるものにも関わらず、自分自身を自由自在にコントロールできること。これが、真の自由ということに、なるでしょう。
それでは、真の自由を得たあなた方は、どこに向かえばいいのでしょうか。
皆さんは旧約聖書その他で、ユダヤ教やキリスト教の、〈原罪〉の観念を学んでいるはずです。しかしこれは、旧約聖書の時代に、存在した、さまざまな宗教 的な観念のごく一部にしか過ぎません。
たとえば〈原罪〉とは何ですか? エデンの園で、ルシファーすなわち悪魔の唆しに応じて禁断の果実すなわち「智慧の実」を食べてしまったということ。こ れが〈原罪〉の源だという風に皆さんは教わって来たはず、です。
(遠くで車両が走る音。)
しかし、旧約の外典、すなわち、旧約聖書として纏められた話の、そのまた別の話、によれば、まったく逆のことが語られています。
ルシファーは、みなさん悪魔だという風に教わっていますが、これは「光の人」という意味です。
たとえば、なんとかルクス、ていう風に言いますよね。明るさを示すために。ルクとかルシとかいうのは(luc)、「光」という意味です。ギリシャ語で言 えば、プロメテウス。「火をもたらした人」という、そういう言葉とほとんど同じ意味になります。
すなわち、旧約の外典によれば、ルシファーは、アダムとイヴをそそのかした悪魔ではなく、むしろ、エデンの園の管理人、主宰者、であるところの、ヤー ウェ。このヤーウェのもとで、単なる動物的な存在に押しとどめられていた、彼らに、智慧を授け、自分たちの置かれている状態について自覚をさせ、ヤーウェ よりももっと上にある、全知全能の神に近づくように、唆したというよりも、奨励した。励ました。そういう存在だという風に、語られています。
みなさんが向かうべき光。それは、欲望を自由自在に、思う存分果たすという意味での自由、ということではありません。それは全き、不自由。皆さんは自ら の主人となって、ルシファーすなわち光の人の、励ましに応えなければいけません。
さらに。この教団にいらっしゃった皆さんは、世間の、普通の方々に比べれば、むしろ欲望を存分に果たしてきた人が多いでしょう。欲望を単に断念しただけ の人間は、自分が、もし自由自在に欲望を果たせていればなあという風な、妄念を抱きがちです。
しかし、皆さんのように、ありとあらゆる邪悪な、あるいは猥褻で猥雑な、欲望にまみれた、人生を送ってきた方々は、むしろ、「気が済んでいる」というか、 こんな状態が、こんな人生が、いつまで続くんだろう。こんな欲望や、煩悩にまみれた生活が、いつまで続くんだろうと、そういう風に思ってきた方々が多いは ずです。
そうしたあなた方こそまさに、光に向かうべき、資格を持っていると言う風に言えます。その意味で、みなさま方はまさに、「選ばれた存在」だと言えるで しょう。
2010年3月21日日曜日
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