2010年1月31日日曜日
私生活、より正確には私生活の表象が、面識のない誰かの閲読の対象になりうる度合いに対する自覚が高まったことを示すものです。私が表象されるものであるならば、それは、見られるものが統御すべきだという認識、そして、私が表象されうることへの自覚が、私的な振舞いをかたちづくるという認識です
ブルーアは、ハーバーマスとコゼレク、それからフランスのシャルティエたちの初期近代のプライヴァシーと公共圏についての議論をまとめたあと、18世紀イギリスのプライヴァシーの問題、特に「私的な」書簡などについて分析する。「18世紀後半には、普通の人々の自分史や自伝の数が大きく増加しました。しかしこれは、私生活へのかかわり方や私生活への興味関心が高まったことを示すものではありません。それは私生活、より正確には私生活の表象が、面識のない誰かの閲読の対象になりうる度合いに対する自覚が高まったことを示すものです。」(68) 「私が表象されるものであるならば、それは、見られるものが統御すべきだという認識、そして、私が表象されうることへの自覚が、私的な振舞いをかたちづくるという認識です。」(73)
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