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2008年10月16日木曜日

吉本隆明=全共闘運動は「上昇型インテリゲンチャ」の「モデルニスムス」を一蹴するために歴史に要請されて登場した「日本封建性の優性遺伝因子」の何度目かのアヴァター(変身)だった。





吉本隆明=全共闘運動は「上昇型インテリゲンチャ」の「モデルニスムス」を一蹴するために歴史に要請されて登場した「日本封建性の優性遺伝因子」の何度目かのアヴァター(変身)だった。

このマルクス主義者たちは「わが後進インテリゲンチャ(例えば外国文学者)とおなじ水準で、西欧の政治思想や知識にとびつくにつれて、日本的小情況を侮り、モデルニスムスぶっている、田舎インテリにすぎなかった」。転向とは「この田舎インテリが、ギリギリのところまで封建制から追いつめられ、孤立したとき、侮りつくし、離脱したとしんじた日本的な小情況から、ふたたび足をすくわれたということに外ならなかったのではないか。」(『転向論』)全共闘運動は敗戦後「民主主義と科学主義」を掲げた戦後日本人が「そこから離脱した信じた日本的小情況」のバックラッシュであった。戦後日本の「後進インテリゲンチャ」たちは、その直前まで全国民を巻き込んで、無数の死者を出した政治的幻想とその罪を、おのれ自身の問題として受け止めることを拒んだ。それはいくたりかのデマゴーグや軍人たちの罪であり、「戦争犯罪人」たちに罪のすべてをかぶせて追い払えば、国民的「浄化」は完了すると思われた。けれども、戦後日本人が追い払ったはずの「穢れたもの」は一世代のインターバルを置いて戻ってきた(まるで父殺しを犯した男に生まれた息子が殺した父親に生き写しであったように)。それは戦争責任から無傷で遁れようとした先行世代に罰を与えるために回帰したのである。全共闘運動はマルクス主義政治運動の形態を借りてはいたが、「科学的社会主義」とは無縁であった。私が知る限り、この運動の中で、「科学性」や「推論の適切さ」が配慮されたことはなかった。学生たちを駆動したのは「肉体」であり「情念」であり、冒険的で行動を可能にするのは「断固たる決意」であった。全共闘運動は日本人に罰を与えて、消えた。しかし、それは私たちが「日本的小情況」を侮るたびに、別のかたちをとって甦るだろうと私は思っている。
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