2008年11月13日木曜日
”輜重輸卒が兵隊ならば蜻蛉や蝶も鳥のうち”>>>言論の自由が許される厳しい世界
心優しき保守派の方々は田母神氏には”言論の自由はない”でなく”言論の自由”の資格(公私共に)無いのでは?=そもそも白痴ですからw
ドリュモン「反ユダヤ主義の父」
言論の自由というのは、「自分の持論の当否について検証できるのは私ではなく他者である」という「場への信認」のことである。
とりあえずその場にいた全員は自分たちは「日教組の教育」からまったく影響を受けていないということを前提にしゃべっていた。私はその前提でよろしいかと思う。「日教組の教育」はたぶん誰にもたいした影響を及ぼしていないのである。私はエドゥアール・ドリュモンという反ユダヤ主義者の書いたものをずいぶん熱心に読んだ時期がある。ドリュモンは「近代反ユダヤ主義の父」と言われたイデオローグである。しかし、さすが盛名をうたわれただけあって、その反ユダヤ主義は「捨て身」の構えのものであった。ドリュモンによれば、19世紀フランスの政府機関も財界もメディアもすべてはユダヤ人によって支配されていた。フランス人は誰も自分たちがユダヤ人に支配されてることを知らないくらい完璧にユダヤ人に支配されていた。現にドリュモン自身、ユダヤ人がオーナーである新聞社でたいそう気分よく働いていたくらいである。そしてある日、フランスのすべてがあまりに根深くユダヤ人に支配されていたために当のドリュモン自身が「ユダヤ人の走狗」として、ユダヤ人支配の実相を隠蔽する作業に前半生を捧げていたという「事実」を「発見」したのである。「私自身が40年間完全に騙されていたくらいにユダヤ人のメディア支配は徹底していた」というロジックをドリュモンは採用した。「自分の無知」という事実をカミングアウトすることによって「自分の明察」を基礎づけたのである。そうやってドリュモンは「反ユダヤ主義の父」になった。私はドリュモンという人は知的にかなり問題を抱えていた人だと思うけれど、その捨て身の構えには一目を置く。「陰謀史観」をそれなりに説得力のあるものにしたいと望むなら、人はその「陰謀」によって、どれくらい自分自身の明察が損なわれていたかという「おのれのバカさの構造の吟味」から始める他ない。そして、そのような離れ業を実際にやってみせたイデオローグは思想史上ほとんど存在しないのである。そこまでする気がないなら、「日本の子どもを組織的にダメにしている政治結社が存在する」というような妄説は口にしない方がいい。翌日、前航空幕僚長が参院外交防衛委員会に参考人招致されて、自説を述べていた。彼もまた自分の明察に基づいて発言していた。「正しいこと」を言って何が悪いと彼は言い放った。言い放つのは構わないが、そういう人間は「言論の自由」というような大義名分を口にしてはならない。
「言論の自由」に基づいて私たちが要求できるのは「真理を語る権利」ではなく、「間違ったことを言っても罰されない権利」である。その権利の請求の前件は「私は間違ったことを言っている可能性がある」という一項に黒々と同意署名することである。だから、「私は正しく、おまえは間違っている」という前提から出発する人は「言論の自由」の名において語る権利を請求できないだろうと私は思う。彼は「絶対的真理」の擁護者なのであるから「絶対的真理」の名において自説を語るべきだろう。それがことの筋目ではないのか。
[コメント]今朝の朝刊各紙で、自衛官の言論の自由と、田母神論文の評価に触れていた。しかし田母神氏には”言論の自由はない”と明確に発言したのはこの記事だけであった。
昨日の国会証言の初めに、田母神氏が「今朝9時時点で(インターネットの)ヤフーで私への支持が58パーセントだった」と過半数の世論支持があることを誇っていた。その時、田母神氏はヤフー世論で少数の支持しかなければどうするのかと気になった。それだけ田母神氏は自分の論に対する自信がないのではないか。これから田母神問題は「他の論文の引用からではなく」、その真偽を確かめ合う論争の分野に入っていく。
言論の世界では、たとえ自分一人だけになろうとも、正しいと思ったことは貫き通す覚悟が必要だ。その覚悟が本当にあるのか気になった。今は制服の空自トップ(前)として目立つが、一人の国民となれば埋没する言論でしかない。それでは独りよがりの自論で、これからの日本を良くすることに繋がらないからである。
かつて自衛隊であった本当の話だ。新隊員になった男が供与された銃はM-1小銃だった。Mー1は太平洋戦中に日本軍と戦ったアメリカ兵が使った歩兵用の軍用銃である。日本兵を撃ち殺してきた銃(中古)を持たされることに嫌悪を感じたのだ。その男は、そのことを理由に自衛隊をやめた。
昔、防衛大学のドリルを見た時、そのM-1を使って演じる光景にその男のことを思い出した。また、外国の要人を迎える自衛隊の儀仗隊が、今もM-1を使っている光景にアメリカから使わされているのか気になる。なぜ自衛隊の儀仗隊や防大のドリルは、自衛隊員に支給された国産の銃を使わないのか。
田母神氏に対して、与野党は真正面から論争して欲しかった。田母神氏は統幕学校で同氏の歴史観を教育する新たな講座を新設し、国家の見解と異なる歴史観を学生に論じていた。自衛隊を個人の思想で私物化した静かなるクーデターであると思う。
これから自衛隊の幹部や隊員は、外部から遮断された世界で、組織内だけに通用する価値観や歴史観を純粋培養される時代は終わった。これからは言論の自由が許される厳しい世界を経験することになった。
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