2009年5月14日木曜日
実際に公衆の心の中で密接に人種の不平等の問題と結びついている人類<文化>の不平等―ないしは差異―の問題を取り上げなければ、人種の不平等の問題を否定的に解決したとはとうてい主張できないだろう
人種と歴史
身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌
必要があって、レヴィ=ストロースがユネスコのために書いた人種をめぐる小論を読む。文献は、クロード・レヴィ=ストロース『人種と歴史』荒川幾男訳(東京:みすず書房、1970)。ずっと読みたかったのだけれども、実際に読む機会に恵まれなかった。
色々な見解が両極化する傾向があるアメリカでは、人種による能力の違いについての考え方も両極化しているような印象を持っている。日本から見ると、右翼・保守サイドには、人種によって知的能力が違うことを狂信的に唱える人たちもいれば、左翼には同じくらい凶暴にそれを攻撃する人たちもいるという印象を持つけど間違っているのだろうか?
レヴィ=ストロースが今から50年前に考えたことは、生物学に基礎をおくと称している人種的な偏見から自由になろうというプロジェクトは、その偏見を攻撃するだけではなく、現実に私たちの目の前に存在している大きな差異を説明しなければならないということだった。人種的な偏見から自由になった思想は、白人が発展させた文化は巨大な進歩をとげたのに、有色人種の文化が後進的で遅れているように見えるのは、どのように説明できるのだろうか、という問いに答えなければならない。
「誰しもごく身近に抱いている問いを不問に付しておいて、一般の人々に、白や黒の皮膚、まっすぐなあるいは縮れた毛髪をもっていることに知能上、道徳上の意味を付与しなでもらったところで、無駄であろうからである。実際に公衆の心の中で密接に人種の不平等の問題と結びついている人類<文化>の不平等―ないしは差異―の問題を取り上げなければ、人種の不平等の問題を否定的に解決したとはとうてい主張できないだろう。」(10ページ)
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