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2009年4月20日月曜日

イギリスにおける著作権制度はもともとコンテンツホルダ(書籍の執筆者)ではなく中間業者(印刷出版業者)を保護するために作られた制度である。




著作権による中間業者

Rauru Blog duke
POLAR BEAR BLOG の Google はなぜ強力な中間業者なのか? を読んで、本題とは少し違ったことが頭に浮かんだので、今回はそれについて書いてみる。
コンテンツの飽和により中間業者がパワーを握るという話については、2年半ほど前に コンテンツ・パッケージングの台頭 という記事の中で言及したことがある。しかし今回は、この中間業者による流通制御というアナロジーを、新聞とGoogleとの関係ではなく、他のものに適用して考えてみてはどうかというアイデアが浮かんだ。何に適用するかと言うと、著作権制度についてである。
著作権というのはコンテンツおよびコンテンツホルダを保護するための制度であると一般に信じられている。もちろん実際そのように運用されている側面もある。しかし、著作権という制度が実はコンテンツホルダではなく中間業者を保護するために使われている、という仮定から出発して世の中を眺めてみてはどうだろう。
これは決して新しい発想ではない。以前 著作権の歴史 の中で概説したように、イギリスにおける著作権制度はもともとコンテンツホルダ(書籍の執筆者)ではなく中間業者(印刷出版業者)を保護するために作られた制度である。そして同様の構図は他のコンテンツにも見てとることができる。音楽業界しかり。映画業界しかり。
この視点に立って物事を眺めてみると、著作権制度とはコンテンツの流通を独占的に制御するためのものである、ということが理解できる。映画の頒布権はまさにそのための制度であるが、他のコンテンツにおいても複製や譲渡を制限することにより実質的な流通制御が為されている。コンテンツ生成はクリエイター過剰問題があるためコモディティ化しやすいが、その場合でも中間業者としての映画会社やレコード会社は流通を強力に制御できるため利益を確保できる。
一方、P2Pファイル共有に代表される違法コピーに目を向けてみると、これがまさに既存中間業者による流通制御の独占を破壊するものだとわかる。違法コピーに対してはコンテンツクリエイターよりもレコード会社や映画会社の方が厳しい姿勢を見せているが、その理由も納得が行く。逆にミュージシャンの中にはレコード会社の方針に反して違法コピーを許容する人もいる。これはレコード会社という中間業者を放逐したい考えなのだと解釈できる。その一方でレコード会社と対決姿勢を貫きつつも違法コピーに対しても厳しい姿勢をとる Prince のような人もいるが、これはレコード会社を駆逐した中間業者を兼任しようとしているのだと考えられるだろう。また Google News に対しては著作権侵害で訴訟を起こした新聞社もあったが、これなどはまさしく著作権制度の正しい使用法と言えるだろう。
いずれにせよ、コンテンツ生成ではなく流通制御こそが金脈である以上、コンテンツ立国といった政策を掲げようとすればどうしても流通をコントロールするという話にならざるを得ないだろう。そこに著作権政策論議の難しさがある。ultraviolet や mara は DRM が大嫌いだが、複製のコントロール権を持ち続けることこそ中間業者がコンテンツをマネタイズする生命線であり、利用者の利便性と本質的に対立する。それとも、著作権という方法によらずにコンテンツをマネタイズするうまい中間業者的仕組みが何か考えられるだろうか。もしそれが可能なら面白いことになるだろう。ただ、Google は広告という道で生きていくつもりのようだが、私はそれにあまり説得力を感じていない。
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