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2008年10月30日木曜日

「飢餓」の歴史的変遷・北鮮の【飢餓】で死ぬ死ぬ詐欺・売春労働奉仕

1850年には、「飢えている」状態は、飢えている本人の責任であった。むしろ、「飢え」は、人を労働へと駆り立てて自立させるのに有用なものであり、労 働市場や食品市場などに国家が介入するのは、市場原理を阻害して経済発展を妨げ、国家に依存する人口を作り出してしまうとされた。1950年には、「飢 餓」は、国家や市場、あるいは国際社会の責任であって、飢えている人々の自己責任ではなく、それゆえに、飢えの背景にある政治と経済と社会の責任を追及す る契機となっていた。このように大きく変化した「飢え」の意味を、福祉国家の勝利史観や、サッチャー以降に現れたネオリベラルな史観で語るのではなく、古 い道徳的・個人的な飢えの読み方と、新しい社会的な読み方が並存しながら変化する過程を捉えた書物。歴史研究と、「福祉国家を超えて」という現在の関心を つないだ、とても優れた論考で、当該の時代の専門家ではない人間にも読みやすい。

面白い論点はたくさんあったが、ジャーナリズムというかマスメディアの資料を、メタレヴェルでとてもうまく使っていたので、それについて少し触れる。19 世紀の後半になると、「飢餓がニュースになる」という、飢餓の意味を大きく変える事件が起きる。ロイターなどの国際報道機関の特派員は、イギリスの植民地 を中心に、世界の各地で生じた飢饉をグラフィックに報道し、特に女と子供の飢え、極端な場合は餓死を本国に伝える。現在の「飢餓」においても重要な、「世 界のどこか遠くで起きている異邦人の飢餓」の誕生である。これらにおいて表現されている飢えている人々への共感は、植民地経営の方法や、植民地という制度 そのものを批判する政治的な道具になった。これと同じ構造は、実は19世紀の半ばのイギリス国内でも、1834年の救貧法の結果作られた、被扶助者を意図 的に劣悪に処遇するワークハウスを批判する議論の中で現れている。ここでも、直接的な目撃と、その結果あらわれる「共感」が、飢餓を政治化するのに役立っ ている。

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「出世したらウチの配給増やしてよ」(エッチしながら)
「ようし、米の配給を300グラム上乗せしてやろう」(エッチしながら)
「あたしも下半身で労働奉仕したいものだわ」(女仕官)
「変態プレイで私の身体はもう傷物よ。指導者同志にあわせる顔がないわ」(日本人にSMをされた喜び組女性)
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