buzz

https://mail.google.com/mail/#buzz

ページ

2008年10月16日木曜日

私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずに済んだが、たまに外出する時、普通の有り合わせの帽子を被って出ると、たちまち国賊を見附けたような憎悪の眼を光らせたのは、誰でもない、親愛なる同胞諸君であったことを私は忘れない





伊丹万作
 昭和初期に活躍した映画監督。1900-1946年。愛媛県松山市生まれ。監督作品としては、「国士無双」、「赤西蠣太」、「巨人伝」など。俳優・映画監督だった伊丹十三の父。掲載作は、「映画春秋」創刊号(1946年8月刊)初出、「戦後映画の出発 現代日本映画論大系」(1971年冬樹社刊)ほか所収。現代の「空気を読む」という風潮に対する警鐘として、一読に値する。


戦争責任者の問題
 最近、自由映画人連盟の人達が映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前も混っているということを聞いた。それが何時どのような形で発表されたのか、詳しいことは未だ聞いていないが、それを見た人達が私のところに来て、あれは本当に君の意見かと訊くように成った。
そこでこの機会に、この問題に対する私の本当の意見を述べて立場を明かにして置きたいと思うのであるが、実のところ、私にとって、近頃この問題程判りにくい問題はない。考えれば考える程判らなく成る。そこで、判らないというのはどう判らないのか、それを述べて意見の代りにしたいと思う。
 さて、多くの人が、今度の戦争で騙されていたと言う。皆が皆口を揃えて騙されていたという。私の知っている範囲では俺が騙したのだと言った人間は未だ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつ判らなくなって来る。多くの人は騙した者と騙された者との区別は、はっきりしていると思っているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。例えば、民間の者は、軍や官に騙されたと思っているが、軍や官の中へはいれば皆上の方を指して、上から騙されたと言うだろう。上の方へ行けば、更にもっと上の方から騙されたと言うにきまっている。すると、最後にはたった一人か二人の人間が残る勘定になるが、幾ら何でも、僅か一人や二人の智慧で一億の人間が騙せるわけのものではない。
 仍ち、騙していた人間の数は、一般に考えられているよりも遥かに多かったに違いないのである。しかもそれは、騙しの専門家と、騙されの専門家とに画然と分れていたわけではなく、今、一人の人間が誰かに騙されると、次の瞬間には、もうその男が別の誰かを掴まえて騙すというようなことを際限なく繰りかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になって互に騙したり騙されたりしていたのだろうと思う。
 このことは、戦争中の末端行政の現れ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオの馬鹿々々しさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間の組織がいかに熱心に且つ自発的に騙す側に協力していたかを思い出してみれば直ぐに判ることである。
 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないような滑稽なことにしてしまったのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だったのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずに済んだが、たまに外出する時、普通の有り合わせの帽子を被って出ると、たちまち国賊を見附けたような憎悪の眼を光らせたのは、誰でもない、親愛なる同胞諸君であったことを私は忘れない。元元、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであって、思想的表現ではないのである。然るに我が同胞諸君は、服装を以て唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかったら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱っている人間を見ると、彼等は眉毛を逆立てて奮慨するか、乃至は、眉を逆立てる演技をして見せることによって、自分の立場の保鞏に力めていたのであろう。
 少くとも戦争の期間を通じて、誰が一番直接に、そして連続的に我々を圧迫し続けたか、苦しめ続けたかということを考える時、誰の記憶にも直ぐ蘇って来るのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、或は郊外の百姓の顔であり、或は区役所や郵使局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、或は学校の先生であり、と言ったように、我々が日常的な生活を営む上において厭でも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であったと言うことは一体何を意味するのであろうか。
 言う迄もなく、是は無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同志が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまったために他ならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、殆ど全部の国民が相互に騙し合わなければ生きて行けなかった事実をも、等しく承認されるに違いないと思う。
 しかし、それにも関らず、諸君は、依然として自分だけは人を騙さなかったと信じているのではないかと思う。
Posted by Picasa

0 件のコメント: