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2008年10月29日水曜日

障害は社会的逸脱か、それともリミナルな境界状態か?神経の弱さと過度の消耗を基盤にする「体質」w医者として、患者に愛されることが絶対に必要だったからWW





障害は社会的逸脱か、それともリミナルな境界状態かという議論をしていて、マーフィーは後者の立場をとっている。「実は、病いということ自体、非宗教的・非儀礼的な境界状態のよい例だ。病人は回復するまでの間、社会的に宙ぶらりんの状態を生きる。身障者たちの場合がこれと少し違うのは、彼らは一生を回復という見込みもなくこの宙ぶらりんのうちに生きることだ。いわば彼らは魚類でも鳥類でもない、定義しがたい曖昧なものたちとして社会から半ばはみだしている。」

ヒステリーと神経衰弱の対比について。ヒステリーは女性と低級な存在に多い病気、神経衰弱は男性エリートの頭脳労働者の病気というイメージの対比はしばしば語られているが、この両者は共通の基盤を持っていた。それは、神経の弱さと過度の消耗を基盤にする「体質」である。体質は、遺伝によっても伝達されるし、また環境を通じて獲得もされるということで、変質(degeneration) という当時の流行概念とかかわってくる。この概念を通じて、ヒステリーも神経衰弱も、どちらも国民や民族への脅威として言説化される。そして、神経衰弱は、たしかに高度な文明の病であるが、一方でこれは変質と衰退と原始的な状態へ退行をあらわす記号ともなるのである。

ナチス時代の精神障害者「安楽死」
身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌
新着雑誌から、ナチス時代の精神障害者「安楽死」に関する短い論文を読む。文献は、Benedict, Susan and Tessa Chelouche, “Meseritz-Obrawalde: a “Wild Euthanasia” Hospital of Nazi-Germany”, History of Psychiatry, 19(2008), 68-76.1939年にヒトラーの指令で始まったドイツの精神障害者の組織的な大量殺戮(Aktion T-4計画) は約7万人を病院に移送してガス室で「安楽死」させて目標を達成し、1941年に8月に終了した。しかし、その後も個々の精神病院では患者や障害者を殺すことが継続されていた。このフェーズの安楽死を、中央からの計画によって実行されたものではないという意味で「野放し時代の安楽死」というそうだが、この論文は、その時期に1万人の患者を「安楽死」させたプロシアのメゼリッツ=オブラヴァルト州立病院で働いていた医者、ヒルデ・ウェルニッケHilde Wernicke についての研究である。彼女は戦後に逮捕されて人道に対する罪で裁かれ1946年に死刑に処せられたので、その裁判記録を使っている。彼女自身は約600人を殺している。(ほかの医者は逮捕されずに逃亡したという。)具体的には、患者を隔離病棟に移し、そこでヴェローナルとかルミナールといった鎮静剤を過剰投与するものだった。法廷では、彼女はこの処置には強く反対していたが、院長の命令、転院することができなかったこと、そして戦時という特別な時期には仕方がないというようなことを、患者を殺した理由としてあげている。もっとも戦慄するというか、深く考えさせることは、彼女は、決して自分で直接手を下して患者を殺すことはせずに、いつも看護婦に命令して注射をさせていたということである。その理由としては、医者として、患者に愛されることが絶対に必要だったから、と述べている。そして、この事態は、実際に手を下した看護婦が、自らの殺人行為を弁解するのにも使われた。彼女の偽善を批判するのはたやすいだろう。しかし、それは学者にとって面白い先端的な問題ではないと知的エリート主義に陥るのもたやすい。私はこういう問題を専門にしている研究者ではないけれども、講義の内容によっては、こういうことを授業で教えなければならないこともあって、どうやって教えるか悩む。何年か前にAktion T-4 を一回か二回の講義で教えたときには、この計画に参加することを断ったある男性の医者を取り上げて、反対運動をしたフォン・ガーレン大司教と対比させて、「凡庸な英雄」であると分析したことがあった。あと、恥を忍んで無知と先入観を白状すると、この論文を読んで一番驚いたのは、この計画の中間管理職として女性の精神科医がかかわっていたことだった。
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