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2008年11月22日土曜日

科学の進歩と福祉国家の進展という二つの神話// 以上。







中世から18世紀くらいまでの初期近代は、社会常識がない医者の全盛時代−少なくともそれを批判したり風刺した作品の全盛時代である。病気も治せないくせにペダンティックで気取った医者をこっけいに風刺して描くのは、モリエールが何度も使った十八番のテーマだった。 上流階級の仲間入りをしようとして生齧りのラテン語を振り回してかつらをつけて気取って歩く医者は風刺の格好の素材だったし、ペトラルカは、医者に対するむき出しの軽蔑を記している。 もちろん尊敬された医者もいたけれども、医者という職業には、曖昧さがつきまとっていた。社会常識の欠如も含めて、医者の欠点に注目して、それを情け容赦なく強調する文化の中で医者は暮らさなければならなかった。

医者「という職業」が尊敬されるようになったのは、19世紀後半から20世紀の半ばにかけてだと思う。その時代には、科学の進歩による幸福の増大と福祉国家の進展によりその恩恵をすべての人に分配するという、時代の進歩のヴィジョンの中枢に医者は位置を占めた。 基礎医学の研究者たちは、人類を病気から解放する救い手になり、臨床の医者たちは、それを個人の患者にさずける使徒になった。 もちろん、軽蔑され不満を持たれた医者もいた。 (特に精神科医がそうかもしれない。) しかし、医者を信頼して期待することが、社会のヴィジョンに合致していた。 その中で、医者という職業が尊敬されていった。

現代では、医者という職業への尊敬を支えていた科学の進歩と福祉国家の進展という二つの神話は、明らかに求心力を失っている。 医学は確かに進歩しているし、素晴らしい可能性を持つ発見はされているが、20世紀の前半から中葉のように、劇的に平均寿命を延ばすことはない。福祉国家を支えるコストは増大し、その批判者が選挙に勝つという事態は日常的に起きている。 現在の社会の進歩のヴィジョン(それがもしあるとしたら)の中枢から、医学ははずれつつある。 
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