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2008年12月26日金曜日

大東亜戦争を「義戦と信ずる」=昭和天皇の「御修養」だってww=徳富蘇峰はアフォの典型by永井荷風





徳富蘇峰『徳富蘇峰 終戦後日記―『頑蘇夢物語』』講談社、2006年

日本の敗戦という大東亜戦争の結末、その後の占領に対して、当時の日本人は、どのように受け止めたのだろうか。明治・大正・昭和の三時代を生きた言論人、徳富蘇峰は、日本の滅亡につながるとし、「恥を忍び恥を裏み、自分の意見を書き遺して、天下後世の公論を俟つこと」を選んだ。この日記は、蘇峰の大東亜戦争に関する考えと敗戦後の状況が述べられており、後世の議論の対象にして欲しいと残したものだと言える。 まず、蘇峰が問題としたのは、敗戦の原因である。蘇峰が疑問視したのは、日本が悪いから戦争に負けた、さらには「軍官民総てが悪い」という主張であった。蘇峰自身、決して敗戦に対する自分の責任を感じていないのではない。勿論、大東亜戦争を侵略戦争だと考えていない。「今尚お日本の戦うたることを、義戦と信ずる」蘇峰は、ただ、純粋に「何故に敗戦したるか」を陳述したいのである。 蘇峰は、敗戦の原因の主として、「戦争に一貫したる意思の無きこと」、「全く統帥力無きこと」を挙げている。今回の戦争は「言葉正しく、名順ではあったが、戦争の方法が間違っていた」というのである。そして、日露戦争における明治天皇の御親裁と昭和天皇の御親裁とを比較すると、「名に於て一であるが、実に於ては全く別物」だったとする。個々や組織としての政治家や軍人の問題、「国家的国民的戦争」であったにも拘らず、国民から乖離した「軍閥官僚の戦争」であったことへの批判と共に、昭和天皇の「御修養」を指摘する。ここで、蘇峰は、昭和天皇を「一点の非難を申上ぐ可き所なき、完全無欠の御人格」でありながら、唯一「万世を知ろしめす天皇としての御修養」だけが足りなかったとする。それは「輔導者の罪」であり、「輔弼の臣僚たる者共」に最も重大なる責任があると批判するのである。 また、蘇峰は、八月十五日以降の筋なき変節を批判する。無条件降伏の発表前まで、「原子爆弾恐るるに足らず」と主張していた者が、発表後には、原爆を防ぐためには、あらゆる犠牲を払っても、たとえ「日本人たる誇りを失うても」良いと主張することに、嫌悪感を示すのである。吉田茂や幣原喜重郎などの以前からの「自由主義者」や「敗戦論者」、「社会主義者とか、共産主義者」などが、敗戦後、得意顔をして出てくることに対しては、蘇峰は「意外とは思わぬ」と問題にしない。しかし、「昨日まで熱心なる米英撃滅」の急先鋒が忽ちに「米英礼賛者」なるなどの豹変ぶり、時局の変化で態度を変化させる新聞の変節ぶりを目の辺りにして、堅実性を失っている、浅薄なる考えだと述べるのである。 ここに、八月十五日以降もあくまで大東亜戦争を「義戦と信ずる」蘇峰の面目があろう。日本の敗戦に自らの責任を感じていながら、筋を貫き、闘い続けることは、大きな苦痛である。勿論、敗戦の責任を感じ自決した者たちの潔さを否定するものではない。しかし、敗戦後、日本が崩れていく中で、自らは誹謗中傷を受けながら、生きて闘い続けることもまた潔いと言えるだろう。蘇峰の筆からは、闘い続けることの潔さを見ると共に、責任を感じながらも闘い続けることの辛さ、苦しさを見ることができるのではないだろうか。
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