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2009年4月20日月曜日

自分の方法の限界を意識してそれを明示する知的正直さがあり、他の方法との交差のさせ方を創造的に示唆している




男性性の創造
身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌
必要があって、「男性の歴史」の古典を読む。文献は、ジョージ・L・モッセ『男のイメージ―男性性の創造と近代社会』(東京:作品社、2005)
ドイツの歴史研究者の泰斗が書いた「男性の歴史」で、堅固な構造体の中に、広範なリサーチに基づく該博な知識を埋め込んでいく、いかにもドイツ的(だと私は思うけれども・・・)なつくりの議論である。時代的にいうと、近代の「男らしさ」は、18世紀後半の啓蒙主義時代に、かつての貴族の騎士道理念(忠誠、勇気、一人の女性への純愛など)を原型にして、それに新興ブルジョワジーの価値体系を反映して作り上げられたものである。そこでは、内面的な徳と同時に、外面的な身体的な特徴も重視されたので、医学や視覚芸術などが重要な役割を果たした。この理念は、ナショナリズムの国家に対する忠誠という要素や、帝国主義の植民地支配もとりこみ、これらを通じて強化された。また、ユダヤ人、黒人、同性愛者、男性的な女などの社会のアウトサイダーを対極において自らを定義することで、人種差別や性的マイノリティの差別を正当化する保守的な力ともなった。つい最近にいたるまで、それは堅固に存続し続けた。一方で、ブルジョワジーの価値観に対する反抗(デカダンスなど)は、この理想化された男らしさに対する意図されて誇張された反逆の形をとった。著者自身、「これは標準的なステレオタイプの歴史である」と断っているから、それはそれでまったくかまわないのだけれども、やはり、現実はどうだったのかということに時々言及したほうがいい。「現実の男らしさの歴史」に関して、これだけ組織的な構造体を作るのに十分なリサーチは現在の段階でもされていないし、原理的に不可能だけれども(ステレオタイプは少数で有限だからこそステレオタイプなのであって、現実は多様で無限である)、ステレオタイプと現実のずれを論じた章が一章でもあると、イギリスだと、「自分の方法の限界を意識してそれを明示する知的正直さがあり、他の方法との交差のさせ方を創造的に示唆している」とか言ってすごくほめられるんだけど(笑)
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