2009年4月13日月曜日
それはパパとママと一緒にドライブに行った帰り、車のうしろの座席で眠ることだと。君は何も心配しなくていい。前の席にはパパとママがいて、心配事は全部引き受けてくれる。すべて面倒を見てくれる。でも、それは長く続かない。ある日、突然、君は大人になって二度とそんな気持ちは味わえなくなるんだ。
「チャック、わたしの手をにぎって!」
ぼくが大好きなサイトにサミュエルへの手紙というのがある。長いこと休止状態だったが、最近また更新されていて、うれしい。で、このサイトの2009年2月28日の文章にこんなのがあった。
チャールズ・M・シュルツの「ピーナッツ」の中にこんな話がある(スヌーピーの50年 世界中が愛したコミック『ピーナッツ』 (朝日文庫))。
ある日、ペパーミント・パティがチャーリー・ブラウンにこう尋ねる。「安心感って、どんなものだと思う?」チャーリー・ブラウンは答える。それはパパとママと一緒にドライブに行った帰り、車のうしろの座席で眠ることだと。君は何も心配しなくていい。前の席にはパパとママがいて、心配事は全部引き受けてくれる。すべて面倒を見てくれる。でも、それは長く続かない。ある日、突然、君は大人になって二度とそんな気持ちは味わえなくなるんだ。チャーリー・ブラウンは彼女にそう諭す。 この話を読んだときに僕が感動したのは、幼い頃に家族でドライブした帰り道とまったく同じ気持ちだったからだ。車の後部座席に寝転びながら、僕は国道沿いに立つオレンジ色の街灯を見上げるのが好きだった。この話を読んだときに、こんどはぼくが感動したのは、以前お付き合いしていた女性が同じことを言っていたからだ。「後部座席でお姉ちゃんとなかば眠りながら窓の外の流れる景色を見るのが大好きだった」と。当時、ぼくは彼女のことが大好きだったのでこういう経験を好きだといえる彼女はなんて素敵なんだろう、と思ったものだが、ようするにそれは両親が車の運転をする家の子どもならだいたいが抱く感情なのかもしれない。現に昨日速水健朗さんにこの話をしたら「まったくぼくも同じです」と言っていたし。なんでこんなことを書いているのかというと、ぼくにはこういう経験がないから。ぼくはいまだに免許も持っていないが、両親も持っていない。でもこの感じは分かる気がする。それも不思議。アメリカ人にとってはもっと根源的な感覚かもね。みなさんはどう?こういう経験ある?ふたたび「サミュエルへの手紙」から。上記の続き。
チャールズ・M・シュルツが優れているのは、実はこの後だ。ペーパーミント・パティが「二度と味わうことはできないの?」と尋ね、チャーリー・ブラウンが「うん、二度とね」と答える。ペパーミント・パティが叫ぶ。「チャック、わたしの手をにぎって!」 我々は車の後部座席で眠れなくなったのと引き換えに、誰かの手を握ることを必要とするのだ。それが大人になることだとシュルツは言っているんだと思う。付け加えて言うなら、きっと、いつかこういう感情を味わった子どもは、車の後部座席で眠れなくなったかわりに、こんどは自分の子どもにその経験をさせることを必要とするのかもしれない。ぼくにはわからないけど。
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