2009年3月10日火曜日
理研
殺虫剤と化学兵器
身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌
未読山の中から、日本の戦前の殺虫剤と化学兵器の開発研究に関する論文を読む。文献は、瀬戸口明久「殺虫剤と化学兵器−日本の場合 1981-1945」『化学史研究』30(2003), 1-10.
第二次世界大戦前のドイツやアメリカでは、殺虫剤研究が化学兵器開発と密接な関係を持つ例が見られた。アウシュヴィッツのチクロンBは有名だし、化学企業ファルベンの化学者は、タブン・サリンなどの有機リン系の化学兵器と、パラチオンなどの殺虫剤の双方が生まれるもとになる研究を行った。この論文は、このような殺虫剤―化学兵器リンクは、戦前の日本にもあったことを論じているもの。陸軍においては、陸軍の軍医学校内の化学兵器研究室にはじまり、第一次世界大戦以降は陸軍科学研究所で化学兵器研究が行われた。農事試験場の昆虫部は、基礎的な昆虫分類から害虫駆除へとウエイトを移した。
クロルピクリンは、1918年に導入された。当時、備蓄米の害虫であるコクゾウムシの被害を食い止めるために、農商務省は理研の鈴木梅太郎に殺虫剤の研究を依頼した。鈴木は、同じく理研の山本亮に実験を命じ、山本は当時外国で使われ始めていたクロルピクリンを用いて実験して成功、1921年には三共で生産を開始するに至った。このときにも、原料のピクリン酸を製造する技術は陸海軍しか持っていなかったため、山本は陸軍に協力を依頼していた。ちなみにこの殺虫剤は「コクゾール」と商品名だったという。
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