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2009年3月15日日曜日

漆間巌と 『ねじまき鳥クロニクル』 - 対ソ謀略工作機関員の運命




漆間巌と 『ねじまき鳥クロニクル』 - 対ソ謀略工作機関員の運命

気象は春の嵐が吹き荒れたが、政治の方はそうはならなかった。膠着状態という感じになった。官邸 と検察は、連日、怒涛のようなリーク作戦の波状攻撃をかけ、小沢一郎側の容疑の「新事実」を報道で騒がせ、世論に揺さぶりをかけて小沢一郎の首を取ろうと必死なのだが、検察の思うような成果は上がらなかった。先週末、民主党の議員たちは、「新しい事実が出てきたら代表辞任もやむを得ない」という態度が大半で、ハーフウェイの洞ヶ峠の状態にあり、週初に発表された報道機関の世論調査の結果で大いに動揺したはずだったが、蓋を開けてみれば、3/10の常任幹事会で小沢一郎の代表辞任を要求する声はなく、またそうした民主党内の姿勢を批判する強い世論は起きなかった。小沢一郎の説明に納得せず代表辞任を求める世論が強まる一方で、漆間巌の捜査関与への疑念や検察の捜査の不公正に対する反発の世論が高まり、両者の波が鬩ぎ合って物理的に拮抗する形になったからである。否、むしろ全体的には検察不信の世論の方が勢いが強くなっている状況にある。  現在の世論の関心の中心は、小沢一郎の進退問題より国策捜査批判に移っている。そこには、検察に加担して政治目的のリーク情報ばかり垂れ流し続けるマスコミ報道に対する倦怠と不信の気分があり、また、官邸と検察の真実を暴かれて今度の国策捜査の全貌が明らかになるのではないかではないかと期待してネットに注目する人々の熱い視線がある。少なくとも私自身の関心は、現在は漆間巌とその周辺に集中するようになっていて、要するに魚住昭的な問題意識が頭の中を占めるようになっている。漆間巌についてもっと知りたい。その正体を明らかにするもっと多くの情報が欲しい。本当は、あの官邸発言問題の中身や経過や事後について、報道機関が続報を出すべきなのだが、新聞は蓋を閉め、漆間巌問題については糾明を封印してしまった。そして1面記事は相変わらず検察リーク情報で埋めている。私は、漆間巌が大学でロシア語を勉強したという自ら語った「経歴」情報を疑っている。1969年に警察庁に入庁して、1980年に在ソ連日本大使館一等書記官になるまで、漆間巌はどこで何をしていたのか。普通の新人の警察官僚のように、亀井静香や平沢勝栄のように、どこかの警察署で刑事修行でもやっていたのだろうか。そうではないだろう。おそらくロシア語はこの10年間に修得したものだ。それはスパイ活動の目的で訓練を積んだものであり、帰国後1987年からの「別調」室長のキャリアとストレートに繋がっているはずだ。漆間巌は最初から国家の諜報工作をやるために警察庁に入ったのであり、対ソ諜報工作のエリートであり、謀略活動を専門とする「特務機関」の幹部候補生だったのである。戦前、陸軍の特務機関員となって満州やモンゴルで特殊工作に従事した者が多くいて、その人材を輩出したのが大阪外大の蒙古語科だったと言われている。司馬遼太郎の同期の多くが参謀本部や関東軍の工作員となって満蒙の奥深く潜入し、人知らず捕らえられて二度と戻って来なかった。彼らが具体的にどのような運命になったかは、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の中に迫真の描写がある。小説を読んだ者は強烈な印象が残っているに違いなく、最初に読んだときは村上作品らしくない異様で残酷な光景の出現に驚愕させられた。
『大丈夫、ちゃんと殺す。心配することはない。(中略)彼らは本当にうまく皮を剥ぐ。これはもう奇蹟的と言ってもいいくらいのものだ。芸術品だ。本当にあっという間に剥いでしまうんだ。生きたまま皮を剥がれても、剥がれていることに気がつかないんじゃないかと思うほど素早く剥いでしまうんだ。しかし - 』、と彼は言って胸のポケットからまた煙草入れを取り出し、それを左手に持って、右手の指先でとんとんと叩きました。『- もちろん気がつかないわけはない。生きたまま皮を剥がれる方はものすごく痛い。想像もできないくらいに痛い。そして死ぬのに、ものすごく時間がかかる。出血多量で死ぬわけだが、これはなにしろ時間がかかる』。彼は指をぱちんと鳴らしました。すると彼と飛行機で一緒にやってきた蒙古人の将校が前に出ました。彼はコートのポケットの中から、鞘に入ったナイフを取り出しました。(中略)彼はナイフを鞘から抜き、それを空中にかざしました。朝の太陽にその鋼鉄の刃が鈍く白く光りました。(中略)ナイフを持ったその熊のような将校は、山本の方を見てにやっと笑いました。私はその笑いを今でもよく覚えています。今でも夢に見ます。私はその笑いをどうしても忘れることはできないのです。それから彼は作業にかかりました。兵隊たちは手と膝で山本の体を押さえつけ、将校がナイフを使って皮を丁寧に剥いでいきました。本当に、彼は桃の皮でも剥ぐように、山本の皮を剥いでいきました。私はそれを直視できませんでした。(中略)彼は始めのうちはじっと我慢強く耐えていました。しかし途中からは悲鳴をあげはじめました。それはこの世のものとは思えないような悲鳴でした。男はまず山本の右の肩にナイフですっと筋を入れました。そして上の方から右腕の皮を剥いでいきました。彼はまるで慈しむかのように、ゆっくりと丁寧に腕の皮を剥いでいきました。たしかに、ロシア人の将校が言ったように、それは芸術品と言ってもいいような腕前でした。もし悲鳴が聞こえなかったなら、そこには傷みなんてないんじゃないかとさえ思えたことでしょう。しかしその悲鳴は、それに付随する痛みの物凄さを語っていました。やがて右腕はすっかり皮を剥がれ、一枚の薄いシートのようになりました。(中略)その皮からはまだぽたぽたと血が滴っていました。皮剥ぎの将校はそれから左腕に移りました。同じことが繰り返されました。彼は両方の脚の皮を剥ぎ、性器と睾丸を切り取り、耳を削ぎ落としました。それから頭の皮を剥ぎ、やがて全部剥いでしまいました。山本は失神し、それからまた意識を取り戻し、また失神しました。失神すると声が止み、意識が戻ると悲鳴が続きました。しかしその声もだんだん弱くなり、ついには消えてしまいました。(中略)私はそのあいだ何度も吐きました。最後にはこれ以上吐くものがなくなってしまいましたが、私はそれでもまだ吐きつづけました。熊のような蒙古人の将校は最後に、すっぽりときれいに剥いだ山本の胴体の皮を広げました。そこには乳首さえついていました。あんなに不気味なものを、私はあとにも先にも見たことがありません。誰かがそれを手に取って、シーツでも乾かすみたいに乾かしました。あとには、皮をすっかり剥ぎ取られ、赤い血だらけの肉のかたまりになってしまった山本の死体が、ごろんと転がっているだけでした。いちばんいたましいのはその顔でした。赤い肉の中に白い大きな眼球がきっと見開かれるように収まっていました。歯が剥き出しになった口は何かを叫ぶように大きく開いていました。鼻を削がれたあとには、小さな穴が残っているだけでした。地面はまさに血の海でした(『ねじまき鳥クロニクル』上巻 P.285-287)。漆間巌の経歴を見ながら、村上春樹の傑作の衝撃的な場面を思い出した。村上春樹は、この場面を描くために『ねじまき鳥クロニクル』を書いたのではないかと、そう思われるほど、この情景描写には強烈な印象が残っている。小説のストーリーも登場人物もすっかり忘れてしまったが、この残酷な場面だけは忘れられず、関東軍の特務機関だとか、ノモンハン事件に関する情報に遭遇すると、この小説の「皮剥ぎ」の場面を思い出す。どちらかと言うと、女性的で繊細で美的な感性と想念のパーツで世界が構築されているイメージのある村上作品にあって、この小説のドラスティックな場面は特別な位置を占める。陸幕調査2課別室、戦前の参謀本部謀略課は、こうした特務機関の工作員を教育して満蒙方面に送り出していた組織である。その任務はまさに謀略工作であり、満州を手に入れた陸軍が、次の標的をモンゴルに定め、極東でソ連と戦争を起こし、ナチスドイツと東西から挟撃してソ連に侵入し、共産政権を倒してバイカル以東のシベリアを支配統治する意図のものだった。ソ連は崩壊したが、漆間巌や大林宏や安倍晋三にはまだ仕事があり、憲法を変えて日本を戦前の警察国家の原状に戻すためには、まず北朝鮮と戦争を始めなければならない。拉致問題というのは現代の満州事変そのものだ。その真実に気がついている人間は少ない。何年経っても、右翼に占領された権力とマスコミに洗脳されたまま、自分を「家族会」の一員だと国民は思い続けている。
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