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2009年3月18日水曜日

成長を促すために政府がなすべきは、交易や情報交換が自然に形成する結節点を適切にコントロールし、そこに生じる独占が不当な利益を挙げないようにすることだ、ということになる。 これはかなり困った事態である。というのも、こんな高潔な芸当ができる政府を、私はまだ見たことがないからである。




ブローデルの資本主義観
アゴラ beta yasutomi_ayumu
 「赤の女王」と題するアゴラの記事で池田氏は、明確に均衡論的経済学を批判し、それに依拠しない思考の必要性をうったえた。この主張は、イノベーションを重視する氏の観点と一貫したものだと私は感じる。そのなかで氏は独占こそが資本主義の本質であり、市場経済によるその打破が成長にとって不可欠だと指摘する。 フランスの歴史家フェルナン・ブローデル(Fernand Braudel, 1902~1985年)は、その主著『物質文明・経済・資本主義』のなかで、資本主義と市場と明確にを区別した。 市場は、都市民や農民や小商人で構成される交換の空間である。そこでの取引は、基本的に等価交換であって、大きな利益を挙げることは難しく、ちょっとした失敗が倒産などの市場からの退却に結びついてしまう厳しい世界である。 これに対して資本主義とは、大商人によって構成される空間である。これはリヨン、ヴェネチア、ロンドン、ニューヨークといった特定の都市に形成される。その場所は市場と市場とを結ぶ交易の結節点であり、そこに陣取る大商人は、他人を寄せ付けない閉じた密室を構成する。結節点を通る如何なる交易もこの密室の関与を必要とし、そこから彼らは莫大な利益を手に入れる。市場は栄枯盛衰の激しい世界であるのに対して、資本主義の参加者は馬を次々に乗り換えるようにして、成長する部門や企業の作り出す価値の上前をはねて、生存しつづける。 池田氏の資本主義観は、このブローデルの歴史理論とおおむね一致しているように私は考える。ただ、ブローデルは、その独占の根源が、国家にあるのではない、と考えていた。資本主義は国家の介入を嫌い、より自由な空間を好み、それゆえ、中華帝国やイスラム帝国には資本主義が発達せず、複数の国家が拮抗するヨーロッパ世界でのみそれが巨大化した、とブローデルは主張する。 私は、交易や情報交換が、本質的に結節点を必要とするということに、資本主義の根源を求めるべきではないかと考える。実際、ネットワーク性が高いとされるインターネットでさえ、それを支えるコンピュータの接続関係そのものが、ハブ構造を持っていることが明らかにされている。この性質を人間のコミュニケーションから排除することには本質的困難がある。 とすれば、コトは厄介であり、政府の規制を撤廃しただけでは、独占はなくならないことになる。成長を促すために政府がなすべきは、交易や情報交換が自然に形成する結節点を適切にコントロールし、そこに生じる独占が不当な利益を挙げないようにすることだ、ということになる。 これはかなり困った事態である。というのも、こんな高潔な芸当ができる政府を、私はまだ見たことがないからである。とはいえ、見たことがないからといって、あきらめればよい、という問題でもないように思う。私は、現在の環境破壊などの人類の危機も、本質的にはこの問題と無関係ではないと考えているからである。 それゆえ、たとえ完全でないとしても、こういった芸当をしでかす組織をつくりだすことが、人類が直面する困難を乗り越えるための、不可欠な課題だと私は考える。こういう問題を考えることが、経済学をはじめとする社会科学の任務ではないだろうか。
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