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2009年3月15日日曜日

剰余はしばしば処理できる限度を超えて蓄積されるので、それを定期的に破壊するシステムが必要になった。それが恐慌であり、戦争である




贈与論
2009-03-15 / Books本書は、経済学でいえば『国富論』のような文化人類学の古典の新訳である。その最大の発見は、市場における交換より共同体の中の贈与のほうが人類史の大部分において普遍的だったということだ。中でも「ポトラッチ」と呼ばれる大規模な贈与は、儀式に招待した客に家に貯蔵した食物をすべてふるまったり、財産を村中に配ったりする。これは一方的な贈与だが、贈与されたほうは返す義務を負う。この不合理なシステムをどう理解するかについては、いろいろな議論がある。モース自身は贈与をコミュニケーションの一種と考え、これがのちにレヴィ=ストロースが『親族の基本構造』で婚姻体系を女の交換として理論化するヒントになった。カール・ポラニーはこうした「象徴的交換」が市場の原型だと論じたが、これはブローデルも批判するように誤りである。市場は贈与と共存しており、一方が他方に転じたわけではない。Carmichael-MacLeodは、贈与を囚人のジレンマを避けるメカニズムと考えた。1回限りのゲームでは、他人を裏切って食い逃げする行動がナッシュ均衡になるので、共同体にしばりつけて逃げられないようにするメカニズムが必要だ。村に贈与してあとから取り返すしくみになっていると、贈与を取り返すまで他人を裏切ることができない。日本企業の「10年は泥のように働け」というタコ部屋構造は、この点では合理的なのだ。贈与の解釈としてもっとも有名なのは、バタイユの『呪われた部分』だろう。彼はポトラッチを、剰余を蕩尽するしくみだと考えた。共同体の秩序の同一性が維持されるためには、生産したものがすべて消費されることが理想だ。一部の人だけに富が偏在すると、その分配をめぐって紛争が発生し、共同体の秩序を乱すので、こうした剰余を排出するしくみを人類は構築してきた。しかし産業革命以後の資本主義は、爆発的なスピードで剰余を作り出し、不平等を生み出し、秩序を壊し始めた。その剰余(利潤)を社会に還元するしくみが市場なのだが、剰余はしばしば処理できる限度を超えて蓄積されるので、それを定期的に破壊するシステムが必要になった。それが恐慌であり、戦争である――というバタイユの「普遍経済学」は、新興国の過剰貯蓄を蕩尽した世界経済危機をうまく説明しているようにみえる。
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